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雲居希膺和尚 2009年4月4日



2009.4.4.記
■伊予国上三谷 〔伊予市上三谷〕に 松島 瑞巌寺の九九世 雲居希膺和尚の生誕の地があります
毎年 瑞巌寺より出向いてこられ法要が営まれるそうです、
西客の皆さんで 清掃 維持 法要のお世話をされていらっしゃるそうです

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雲居希膺〔うんごきよう〕和尚 〔1582~1659〕は瑞巌寺の九九世で、中興開山に位置づけられています。伊予の国上三谷〔愛媛県伊予市〕生まれました。

雲居国師の父は小浜左京といい、土佐一条家の重臣でした、1582年長宗我部元親に攻められ、重症を負った兼定の乳母であった左京の妻は、我が手で看病する為、遠い道のりを急いだ。身重だった彼女は三谷毘沙門堂で身体を休めているとき産気づき1月25日正午立派な男子を生んだ。この子が後に雲居国師となる

雲居国師は青年時代から天下の名僧・傑僧を訪ねて諸国行脚修業のたびを続けた。その途中1621年、天徳寺〔松山市〕の南源師を訪ねた。

その話を聞いた松山城主加藤嘉明、明成父子はさっそく天徳寺を訪ねその徳の高いことに感銘を深くし、雲居国師のために宝樹寺を創建した。

1636年55歳の時仙台藩主伊達政宗からの再三の招請により松島瑞巌寺の第九九世の住職となり、中興の大業を成し遂げる。

師は78歳で亡くなられましたが権力者や庶民に分け隔てなく接し、生涯木綿の僧衣で過ごし倹約を示し、人々から生き仏と慕われました、

雲居禅師は筆まめ、博学多識で、たくさんの墨蹟をも遺されました、
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by chiakit7 | 2015-01-06 19:17 | 伊予のこ | Comments(0)